ワークショップ第8回 / NPO法人 こどもの広場もみの木

実りの秋…子どものペースで歩こう Vol.1

2011/11/8

今日から秋のワークショップが始まります。みなさんをお迎えするもみの木園の子どもたちは現在18人。
クラスと年齢構成は、すみれぐみ(6歳2人・5歳6人4歳1人)とことりぐみ(4歳5人・3歳2人・2歳2人)
です。

ことりぐみの中には、9月に新しく仲間入りした3人も含まれていますが、おそらくどの人が新人なのか
まったくわからないほど2歳から6歳の子どもたちが互いにつながり、調和して子ども集団をつくっています。

子どもの集団は子どもの社会。この社会をつくるのは、子どもたちひとりひとりです。このひとりひとりは
人として自立の第一歩を踏み出したばかり。そんなひとりひとりがお互いを見ながら、心を寄せ合って
毎日をつくっています。

このワークショップのテーマは「子どものペースで歩こう」です。前回に引き続きみなさんともう一度、いえ、
もっともっと考えてみたいと思っています。子どもはひとりでは生きていけません。必ず大人が一緒にいます。
子どもと大人の関係は、もし力関係でみれば間違いなく子どもは弱者。子どもは小さく未熟であるために、
大人主導で動かされがちではないでしょうか。

一方、大人自身も自分のペースではなく何かの影響を受けて動かされていることがあるのではないでしょうか。
保育の場でもよく問題になるところです。

子どものペースを尊重するとは? 
幼児期とはどんな「とき」なのでしょうか? 
子どものペースで一緒に歩いて考えてみましょう。
ついでに自分のペースも確かめるチャンスになるかもしれません。

先週すみれぐみの子どもたちは、一泊二日のお泊り会を終えました。
一日目、7時間のハイキングのあと宿舎に着くと、夕方なのにまた新たな朝が来たように宿舎での
活動が始まり、子どもたちのペースに圧倒される思いでした。

ひとりひとりが小さい体の中に、計り知れない力を育てているのです。体力だけではありません。
ひとりひとりの物事の考え方、意思の表し方が鮮明になっていることに驚かされました。

これは幼児期の後半にいる子どもたちの今ですが、2歳のまだことば以前の時代にいる子どもたちも、
この秋、メキメキと自分の表現を打ち出しています。そんな姿に出会うたびに、その子どもに
新しく出会ったような気持ちになり、また季節の変化に沿うように子どもも実りの時を迎えていたことに
気づかされました。

ひとりひとりのペースを知ると、子どもがよく見えてきます。それは子どもを認めることでもあり、
子どもから学び、子どもと共に気づき合う・分かち合う(共感)関係、つまり力関係ではない子どもと
大人のあり方を求めていけるのではないでしょうか。みなさんとご一緒につくっていく毎日が楽しみです。

はじまり、はじまり! Vol.2

2011/11/9

秋のワークショップが始まりました。いつもながら少し緊張して初日を迎えましたが、
参加者のみなさんとお会いすると「よく来てくださって…」と嬉しさが込み上げてきました。参加する
みなさんと迎える私たち、初対面であっても子どもたちと一緒に「今日一日どうぞよろしく!」と
気持ちがつながっていくようなはじまりでした。

今回は新しい試みがあります。もみの木園在園のお母さんと卒園生のお母さんがひとりずつ、スタッフとして
このワークショップを支えてくれます。初日の朝スタッフの顔が揃って、みなさんに紹介しながら何ともいえない
安心感を味わっていました。みんな子育て真っ最中のお母さんで、もみの木園の頼もしい協力者たちです。

さて子どもたちですが、2歳から6歳の面々は、ほぼいつものように枝を捜してきたり、バッタを捕まえたり、
木にお話ししたり・・・しかし今日出会った子どもたちやみなさんたちをちょっと意識しながら・・・。

たとえばおやつの時、当番の人はお客さんの子どもたちから、次は大人の方たちに、最後にもみの木の
人たちに配りました。子どもなりの配慮なのでしょう。実はすみれぐみの子どもたちは、このワークショップを
お客さんをお招きできる嬉しさで、わくわくしながら指折り数えて待っていました。大きい子どもの思いは
小さい子どもにも伝わるのでしょう。子どもたちみんなが、お客さんを受け入れている様子にほっとしました。
いいはじまりです。

参加者のおひとりが、もみの木の子どもたちが団結している印象を話してくださいました。仲がいいとは
少しニュアンスが違う「団結している」という感じ、なんだかピンときました。もみの木は園舎がないので、
子どもたちは自分たちの居場所としての部屋もないのですが、森を歩きながら自分たちが集まっている場で
子どもたち自身がお互いの居場所をつくっているのです。そんな暮らし方からひとりひとりが結びつきの力を
つけているのかもしれません。

私たちは子どもたちとの日々、特に暑さ寒さにたえながらの日々や、子どもたちの間で起こった問題がうまく
解決出来ず重い気持ちを引きずって歩く帰り道など「苦楽を共にする」とよく表現しています。これも団結を
生む要素だと思いました。

団結って「心を同じくする人々が目的を達成するため集団を結成すること」(大辞林より)・・・
改めて「集団」について考え始めているところです。

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子どもたちが見つけた遊び場 Vol.3

2011/11/10

2日目の朝、子どもたちに「今日はどこに行こうか?」とたずねると、それぞれ少し考えていましたが、
H(5歳)の「狐久保!」という声に、みんなはすぐに昨日のことを思い出したような表情でうんうんうなずき
「狐久保で木登りしたい」「うん、木登りしよう。狐久保に行こう!」と。

昨日の活動を終える時、もっと遊びたかったと言っていました。さっそく狐久保を目指して出発しました。
ルートも昨日とまったく同じ。今日はどんな一日になるのかとわくわくしてきました。

実はこれまで狐久保は、みずきの丘へ向かう時にちょっと立ち寄って、リスや野ネズミが食べたクルミの実を
拾いに行く程度で、長い時間遊んだことはなく、昨日もみずきの丘が最終目的地(お弁当を食べる場所)でした。

ところが今日は、みずきの丘には行かないと言うのです。今日、狐久保に行ってみて、その訳がわかりました。
昨日、数人の子どもたちが、おもしろい遊び場を見つけていたのです。はじめての場所です。

今日はそこにみんなで行きました。小さい子どもでも木登りが出来るちょうどいい木があります。枯れ木が
横たわっていてまたがって遊べます。枯れ草がふわふわして地面ではない感触も味わえます。茂みを歩くと
トゲトゲのくっつき虫がズボンにいっぱいつきます。もっと奥へ奥へと行ってみたくなります。
子どもたちが見つけた場所は、こんな所だったのです。

今日の参加者の子どもたちも、子ども同士打ちとけて、自然に体がなじんでよく遊びました。

そのときのエピソードをひとつ。もみの木のS(2歳)が茂みに入って細くて長い竹を見つけてきました。
すると、Tくん(2歳)がすぐにその竹をほしがりました。Sは首を振ってイヤイヤをしましたが、
しばらくしたらその竹をTくんに手渡しました。思いがけない贈り物を手にした、Tくんは嬉しかったのでしょう。
今度はTくんが自分で見つけた枝を、Sにあげたのです。そしてTくんは自分の背丈の何倍もある竹を引っ張って
歩き始めました。

始めて出会ったふたりなのに、こんな気持ちのやりとりをしているのです。ふたりの間にことばはありませんでした。
お互いにしぐさだけで意思を伝え合っているのです。Sは自分が気に入って手に持ったものを、ほかにも欲しい人が
いることに直面したとき、心が揺れ動いたことでしょう。ふたりとも相手とかかわり合ってはじめて相手を知り自分の
気持ちに気づき、自分の新しい気持ちをつくって行動しています。子どもたちの時間には、こんな小さな物語が
いっぱいつまっています。

帰り道、小さい子どもたちも疲れた様子も見せず楽しさが満ち満ちて、午前中よりはるかにしっかりとした足取りでした。

ワークショップと子ども Vol.4

2011/11/12

このワークショップが始まって2日間の中で、子どもの変化に気づいたもみの木のお母さんたちが
驚きの報告をしてくれました。

HNちゃん(2歳)はワークショップが始まると、毎朝早く行きたくてお母さんを「はやく、はやく!」と急かして
出掛けてくるそうです。HNちゃんのお弁当には、まだフォークやお箸は入っていない(手で食べられるお弁当です)
のですが、2日目に帰ってきたら、お弁当の包みに家で使っているフォークが入っていて、HNちゃんに聞くと
自分で持っていったのだそうです。もうフォークを使える自分をお客さんたちに見てもらってもいいかな…。
そうだ!そうしよう…。という感じで自分で持っていったのでしょうか。

そしてお母さんに「HNちゃんの友だちがいっぱいいるんだよ」とお話しして、ワークショップのお客さんを「友だち」
と表現しているようです。

また4歳のHAちゃんのお母さんは、ワークショップから帰ってきたHAちゃんの輝きように驚いています。
どんなに楽しい時間を過ごしているのだろうと想像しただけでおかあさんも嬉しくなり、参加者の方々や
子どもたちみんなへの感謝の気持ちを伝えてくれました。

今日は昨日までの場所ではなく、前々からワークショップにRちゃんが来たらここで遊ぼうと決めていた「くり山」に
向かいました。Rちゃんはワークショップ3回目で、ほかの季節にも遊びに来てくれています。くり山は運動会の後、
すみれぐみが自分たちの基地のようにして遊んでいる場所で、ことりぐみを連れて行くのも始めてでした。

未知の場所に始めて足を踏み入れる、挑むような姿の子どもたちと、彼らを導こうと力強く勢いのあるすみれぐみが、
一緒になって丸太遊びを繰り広げました。昨日も、まだ木登りを始めて日が浅いTP(5歳)が、大きく背伸びして、
先頭切って小さい人たちが登れるように導いていました。

前半3日間を終えた今、子どもたちがワークショップで、自分から取り組んでいることが次々と見えてきて、
改めて子どもにとってのワークショップの意義を考えるチャンスになりました。

また、毎日、参加者の子どもたちが、まるで「今日は舞岡で思いきり遊ぶぞ!」と目的意識を持っているかのように
一日を過ごし、ひとりひとりの表情も体の動きも豊かで、小さい子どもの実力に感服しているところです。

そして毎日、舞岡で出会った子どもたちが一緒に響き合って発揮する力の価値を、帰宅した子どもから感じ取って、
お母さんたちとワークショップの取り組みがつながり始めました。舞岡の自然の中で子どもを知るワークショップ、
後半の土日にはどんな出会いがあるでしょうか。

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はじめてのこと Vol.5

2011/11/13

幼い子どもたちは、毎日たくさんの「はじめてのこと」に出会いながら暮らしています。
このワークショップに参加した子どもたちも、一日舞岡公園で一緒に過ごす中で「はじめてのこと」に
いっぱい出会ったと思います。

はじめて出会った「ちっぷさん」という名の木、カメムシ、カマキリ、カマキリの卵、バッタ、テントウムシなどの
虫たち…はじめて出会った人もいろいろ。子どもたち、大人たち、木登りする子ども、木登りする大人、
かけ回る子どもたち、おやつを食べる子どもたち、手をつないで歩く子どもたち…

場所についてもそうです。田んぼ、あぜ道、山道、丘、林、川などいろいろありました。ここに挙げたのは、
子どもたちが立ち止まり、それに意識を留め、ある印象を持ったであろうことがらです。

このようなたくさんの出会いが連なって一日が出来上がっていきます。そのとき子どもが持った「ある印象」は
どんなものなのでしょうか。一匹のカマキリをみんなで囲んで、いつまでも見ていることがよくあります。
「かっこいい」とか「こわい」と言い合って見ているときもありますが、さらにじっと見続けるとき、ことばを超えた
ことばにならない印象が、体の中をぐるぐる回り始めるくらいの見飽きるほどの時間が必要だろうと思うのです。

これこそ子どものペースです。そして再び出会ったとき、またもう一度…と出会いを積み重ねて「認識」を
育てていくのだと思います。

2日前、くり山に行った時のこと、途中でリュックを置いて山に登ろうとしたら、HNちゃん(2歳)だけは
リュックを背負ったまま、一番後ろから登ってきました。くり山の頂上でHNちゃんは、みんなが遊ぶ、
ほぼ真ん中でリュックを背負ったまま、じっとみんなを見続けました。気になった人が「HNちゃん、遊ぼう」と
そばに行って誘っても、手で払っていました。

ひとりで寂しいのではなく、はじめての場所だからくり山に立ってみんなの遊びを知るために、あのくらいの
時間が必要だったのでしょう。これがHNちゃんのペースであり、「はじめてのこと」だから、なおさらその人の
物事を把握するペースを尊重しなければならないと思いました。

子どもが身につけた力は、たった今、生きている自分の生活の中で使っていくものであって、将来のために
取って置くものではありません。日常の暮らしの中で子どもが自分の力を使って生きていく様子が見えるはずです。
「今」を充実させるところから、子どもたちは育っていくのですから・・・。

子どもは大人と共にありますが、子どもを市場主義的傾向に偏った大人の社会に巻き込んでしまってはならないと
思います。子育てはいのちを育む営みです。育て育てられるのは、子どもであり大人であり、その相互関係が
おもしろいと思いませんか。

小さな人生の歌 Vol.6  

2011/11/14

ぼくはうれしい 生きているから
ぼくはうれしい 空が青くて
ぼくはうれしい 野道があるから
ぼくはうれしい ふりそそぐ露も

お日さまのあとの 雨ふり
雨ふりのあとの お日さま
生きているって こういうこと
やるべきことを しっかりやろう

ぼくらは なにをすればいい
小さくても 大きくても
だんだん そだって 背がのびて
空に近づくのが わかること

これは、リゼット・ウッドワース・リースの「小さな人生の歌」という詩です。

2011年秋・森のようちえんワークショップが昨日、全日程を終えました。5日間で一緒に過ごした26人の
子どもたちともみの木の18人の子どもたちに思いをめぐらせると、この詩がぴったりでした。

最終日、細い山道を子どもも大人も一列になってくり山に向かうと、途中で立ち往生。原因は先頭になりたい
3人のケンカが始まったためでした。全員が立ち止まって待ちました。3人にとって先頭争いは「やるべきこと」
であって「しっかりやって」いたのでしょう。後ろに続く全員を巻き添えにして・・・。

彼らに後ろの事情も知らせなくちゃ…と思って前へ向かうと、もう3人で決着をつけたようで、また前進し始めました。

先頭になりたがる人となりたがらない人がいるのですが、子どもたちには誰もが先頭になって歩く経験をして
ほしいと思っています。

幼児期の子どもたちの先頭になりたいという願望は、支配欲とはちがう「自分が!」という強い自己表出だと
思うのです。他者とぶつかり合った「自分」は、一番を主張し続けるかもしれないし、二番手にまわることも、
一番後ろからみんなを守る役にもなっていけるのです。

この詩の最後の「空に近づくのが わかること」・・・そういえば子どもたちは、木に登り空に近づきます。
小さくても大きくても・・・。

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